3年前の自分からの手紙
こんにちは。
最近はやや体がお休みモードです。少しよくなりましたが、またすぐに悪くなりそうな雰囲気があります。いつもぬか喜びするパターンなので、なんとなく波がわかってきたような。
先日、またひとつ年を重ねました。ブログやTwitterでお世話になっている方々が、軒並み冬生まれで、何か通ずるものがあるのでしょうか・・・。
この前、オタクは冬生まれに多い説を見かけて、おののいたのですが(当てはまる)これとも関係しているのか。
誕生日を迎えた朝に、私は一通の手紙を読みました。
3年前の自分からの手紙です。
当時、ラピッドサイクラーから混合期の中間くらいの辛い時期でした。希死念虜はありませんでしたが、「消えてしまいたい」と、大波が押し寄せては考えていました。
幸い、自分は自傷行為はありませんでしたが(強いて言えば過食)、辛くてどうしようもなかったとき、私は手紙を書くことでその気持ちを紛らせていました。
私が書いたのは2通。その1通がこの、未来の自分に宛てた手紙です。
当時は何もすがるものがなくて、私は未来の自分にすがったのでした。今はこんなに辛いけど、3年後の自分は元気でやっているか、と。
きっちり封をしていたので、開けることもなく、それでも手紙の存在はずっと頭の中にありました。そして開けました。
もう書いた内容はすっかり忘れていて、きっと辛かった頃に書いたから、殴り書きで、今の不満をぶちまけて、未来の自分は元気にやっているに違いない!!という妄信的なことを書いていると思っていたのですが、そうではありませんでした。
すごく丁寧に書かれていて、未来の自分を案じている文章で、当時の自分の優しさに驚きました。確かに過去の自分は、今の自分に、仕事はしているかとか、パートナーはいるかとか、期待を語っていましたが、それでも「環境が今のままでもいいよ」と書いてありました。
この手紙を書いてから後にうつ転してしまい、前に進むことはしばらく出来ませんでしたが、それでも、当時よりも、穏やかに暮らせるようになりました。思い描いていた未来とはほど遠く、大した進歩もしていませんが・・・。
ちなみになんでこんな手紙を書こうかと思ったかも書いてあって、たまたまテレビで観たコント番組に、30年後の自分に宛てた手紙というものが出てきたそうで、それで書いてみたとのこと。つまり気まぐれでした。
でもそんな自分の気まぐれで、過去の自分に励まさせれました。
なのでまた3年後の自分に手紙を書きました。
そして、当時書いた手紙のもう1通は遺書でした。
死にたいわけではないのに、遺書を書くって、ちょっとおかしな話ですが、辛さを誤魔化すために苦肉の策で書いたものです。おそらくこちらは、結構しんどいことが書いてあるのだろうなと思うのですが、今は目を通すつもりはありません。
もしこれから先、また大きなうつがやってきて「消えてしまいたい」と思ったときに開封するのだろうなと思います。
願わくば、そんな未来が訪れず、何十年も経った頃、引き出しの整理をしているときに見つけて、笑って処分できますように。