フラットを探して

双極性障害で療養中の記録

私の加害と被害〜相模原障害者施設殺傷事件から

こんにちは。

毎回書いてしまいますが、本当に暑い日が続いていますね。夏バテを自覚してしばらく経ちますが、ちょっと回復したかと思えばぶり返してを繰り返しています。特に午後になるとぐったりしてしまい、やりたいこともなかなかはかどりません。夜の8時くらいにようやく活動できるようになるのですが、すぐに寝る時間になってしまうので困ったものです。しかも寝る時に体の内側から熱を感じて、「このまま死ぬんじゃないか」と考えてしまったり、日に日に精神面もやられています・・・。この暑さは少なくとも8月初めまで続くそうですが、あと2週間、考えただけでも体力を奪われてしまいます。

 

本当はもうじき事件発生から2年を迎える相模原障害者施設殺傷事件について改めて考えてみたいと思っていたのですが、記事を調べたり、考えをまとめたりしようにも暑さで頭が働いてくれません。被告の手記が出版されるとかされないとか、もめていましたがどうなったのでしょう。ここ数十年で厳罰化の流れは一層強まり、先進国の中でも日本は依然死刑制度が存在し続け、むしろ賛成派が増えているようです。その是非は置いておいて、今回の事件ではより「障害者を地域へ」の流れが強まったように感じます。

 

近年では、障害者を1か所に集めてそこでコミュニティを確立させるという昔のあり方から、それぞれの地域の中で暮らすことがよいと言われるようになりました。以前ご紹介したNHKの重度知的障害者施設を扱った特集でも、障害者を地域で見守ることで、施設では見せなかった当事者の新たな面を見ることができたと語る場面がありました。しかし一方で、その施設が今まで通り必要であるという当事者やその家族もいます。今回の事件の舞台となってしまった障害者施設も、地域活動などが盛んだったとありますが、大きな施設であったことは確かです。入居していた方々は、事件後別の施設に入ったり、家族とともに暮らすようになったりと様々ですが、彼らの暮らしは今後変わるのか、あるいは変わらないのか・・・。

 

一方で私自身はというと、この事件が起きたとき、ちょうどどん底のうつ転をして1ヶ月が経とうとしている頃でした。毎日辛くて何も出来ず、横になるばかりでしたが、この事件をニュースで知ってからは、連日テレビで事件の詳細を知ろうとしていました。犯人の行動や素性が明らかになるにつれ「もしかして犯人は自分と同じ障害なのではないか」「躁状態になっていたのではないか」という思いが強くなっていました。仮に同じだったとして、世間はどのような反応を示すのだろうか、ということが私の専らの関心事でした。

 

私の場合、軽躁状態の頃というより混合状態に近かった頃の話ですが、自分をコントロールできず、多行動や多弁になって周囲を心配させてしまいました。その言動のほとんどが自分に返ってきたので、自分自身を傷付けるばかりでしたが、それでも人に迷惑をかけることが多かったと思います。毎日そわそわして落ち着かず、頭痛がして体が動かず、「どうにかして欲しい」とパニックになっていたのかもしれません。私は泣き叫ぶくらいでしたが、これがエスカレートして自分や他人に暴力をふるってしまったらどうしようと、不安に思うこともあります。たとえ人が皆、理性を失ってしまうスイッチを持っていたとしても、私の場合そのスイッチが脳内に鎮座しているような感覚さえあるのです。

 

自分がこうした加害者側へなってしまうかもしれない不安とともに、被害者側になってしまうかもれない不安もあります。昔に比べれば、精神疾患に対する認知も広がり、SNS等の普及によって同じような症状で苦しむ方と繋がりを持つことが可能となりました。こうした仮想コミュニティが確立されていくなかで、集団となって見える化された我々へ攻撃の矢が向かいかねないと思えるからです。