フラットを探して

双極性障害で療養中の記録

思い出のウーファー生活

こんにちは。

今から3年ほど前の話ですが、1ヶ月ほど私はウーファーをしていました。ウーファーとは農業体験とも言われますが、農業地や観光地などである一定の労働力をこちらが提供するかわりに食と住を提供してもらうシステムです。賃金の発生しないゆるい住み込みバイトのようなものです。

 

もともとそんなことに微塵も興味なかったのですが、会社を辞めた後に体調がよくないのに再就職してすぐに失敗していた時期で、たまたまその頃に知り合った人に教えてもらったのがきっかけでした。精神的に病むとヒーリング系やら変わった個人業の人と出会うようになるのは、あるあるなような気がします。その延長線上にパーマカルチャーやらマクロビオティックやらヨガやらアロマやらカイロプラティックがあると思うのですが(このニュアンス伝わりますか)そういうことを意識した人たちが運営するコミュニティにウーファーとして参加しました。

 

とにかくその頃は「環境を変えたい」という願望が強く、人に勧められるがまま、遠く離れたその地へ向かいました。今思えば、うつ状態だったのをなんとか持ち直したくて突拍子もないことをしていました。フラットに戻すことができずに「うつ」か「躁」しかギアがなく、いわゆるラピッドサイクルの頃でした。本来なら、うつになったらそのまま時間をかけてギアを上げる力を蓄え、ゆっくりフラットに戻していかなければならなかったのだと思います。

 

上記の説明だとあやしいコミュニティのようですが、自然派な人や人生迷子の人や旅してるような人が集まるゲストハウスでした。そこでは無農薬野菜などを自分たちで作って宿泊客に振る舞っていたので、その農業を手伝ったり、ゲストハウスの掃除や食事などを作ったりしていました。私以外にもウーファーとして参加していた方は5名ほどいて、夜になると宿泊客も集まって皆で暖炉を囲みながら色々な話をしていました。

こういうところに集まる方は、都会での生活に限界を感じて、世界を旅して自分探しをしたり、半農半xを目指す方が多く、自分の視野を広げるという点ではとてもよいところでした。大自然に囲まれ、その頃は頭痛もかなりなくなっていたと思います。

 

まったく興味のない世界でしたが、環境も良かったので数ヶ月は滞在する予定でした。しかし1ヶ月ほど経った頃に急に躁鬱の波が押し寄せ、ある日突然体が動かなくなってしまいました。この病気は尻切れとんぼと言いますか、失速感が凄まじく、あれだけ元気に過ごせていたのに最後はあっけなく体調を崩し、逃げるようにその地を去ってしまいました。

始めから病気のことは伝えていたので優しく見送ってもらいましたが、なんとも情けない最後でした。遠い場所だったので、体調がどん底の中帰るのもまた一悶着あり、知らない人の家に泊まらせてもらったりと笑えない珍道中となりました・・・。

 

その後1ヶ月ほど自宅で引きこもっていたのですが、まだまだラピッドサイクルは続き、無駄に動き回るようになるのですが、それはまた別の機会に・・・。散々な結果になってしまいましたが、そこで知り合った人とは交流を続けているので(うつになってからは連絡していませんが)よい経験にはなったと思います。今では懐かしい思い出です。