フラットを探して

双極性障害で療養中の記録

子どもの頃の双極性障害

こんにちは。

昨日の午後あたりから体調が回復しだし、今日は安定しています。猛暑ではなくなったからでしょうか。数日ごとに体調が大きく変わり、ちょっと振り回されています。

 

先日さくらももこ先生の訃報が飛び込んできましたが、ショックです。熱心にマンガやアニメを観ていたわけではなかったのですが、それでもちびまる子ちゃんの「わたしの好きな歌」という映画がとても印象に残っています。スタッフが錚々たる顔ぶれで、内容も素晴らしいのにVHSしか出ていないので、今となってはなかなか観ることができません。数年前に神保町の映画館でリバイバル上映されることになって観に行こうとしたのですが、結局うつ期になって行けなくなってしまった苦い思い出があります。

 

さて、もうすぐ8月も終わりということで、学生の自殺がどうこうといった話題をよく耳にします。私が子どもだった頃は、どうだったかなと思い出してみました。小学生の途中から海外で暮らしていましたが(話題のサマータイムもありました)私は言葉を覚えるのが遅く、「君の後から転校してきた韓国の子の方が英語が達者だけど、君はまだ喋れないの?」と言われた記憶があります。そういう言葉だけはよく理解できてしまう不思議。不登校とまではいきませんが、子どもながらに辛くて、いわゆるズル休みを覚えたのはこの頃でした。月曜日から金曜日まで現地の学校へ通い、土曜日は日本人学校に通っていましたが、後に両親から聞いた話では、私を見かねていずれは完全に日本人学校へ行かせようとしていたそうです。

 

結局その前に帰国することになりましたが、私の地元の学校は幼稚園から中学校までほぼ同じ顔ぶれなので、多少はよそ者感があったように思います。それでも以前から親しくしていた子もいたので、いじめられたり、のけものにされたりということはありませんでした。その後中学で運動部の部長になったのですが、しらばらくすると急に学校へ行けなくなってしまい、医師にはこれが双極性障害の発症だろうと言われました。もしかしたら小学生のズル休みをしていた頃から怪しかったのかもしれませんが、定かではありません。

 

その後も高校、大学と、活発なときと学校を休んでしまうときを繰り返し、双極性障害の典型のように歩んできました。高校の頃は暗黒期だったような気もするのですが、あまり覚えていません。当時の感覚では「何故か辛い」「何故か身体が動かない」「何もかもが嫌」というもので、大人になって病名がついた時は、子どもの頃から続く定期的な不調が、甘えからくるものではなかったとわかってとても安心しました。

 

もっと早くに診断されていれば、もっと生きやすくなっていたかもしれませんが、そんなことを嘆いても仕方ないので、これから、ですね。子どもの頃から自殺したいと思ったことはありませんが、消えてしまいたいと思うことはありました。この世から消えないでよかったと思えるような生き方を、これから出来るようになりたいものです。