フラットを探して

双極性障害で療養中の記録

ワインバーで働いた話

こんにちは。

昨日今日と随分涼しくなりましたね。猛暑の頃から頭痛が続いていましたが、今日はそれもなく過ごしやすいです。ただ、台風の影響で気圧もグンと下がるので要警戒ではありますが。最近は頭がボーッとしてしまい、あまり活動的でないのですが、高校野球と将棋中継に慰められています。

 

さて、以前ラピッドサイクラーだった頃、私はワインバーで働いたことがありました。今思えば紛うことなき軽躁エピソードなのですが、当時は微塵もそんなことは思いませんでした。双極性障害の波がドンと出て体調を崩し仕事を辞めてから、私はすぐ就活を始めてしまいました。本来ならきちんと休養しなければならないのに、「環境を変えれば体調が良くなる」と思えてしまい、タイミングも良かったのかトントン拍子で仕事が決まりました。しかし体調も万全ではないので長くは続きませんでした。もしかしたらこれがラピッドサイクラーの発端だったのかもしれません。その後もうつで体が動かなくなっては寝込み、うつから抜け出したいと思っては軽躁状態になりまたうつになるを繰り返しました。その中のひとつに、ワインバーで働くという、ほぼ自殺行為をしてしまったことがあります。

 

当時、体調を崩すのは決まって「一人になったとき」や「ホッと落ち着いたとき」だったので、「気を緩めたら体調を崩す」と思うようになっていました。今思えば、仕事をしたり人と会うことで溜まった疲れが、緊張を解いたことで現れ、体が休めというサインを出してくれていたのだとわかります。しかしその頃は、こうしたサインそのものを出させないようにしようと考えるようになっていました。

 

そこで思い至ったのが接客業をするということでした。今まで接客業とはほとんど縁がなく、せいぜい学生の頃の塾講師や博物館のバイトくらいでしたが、人と食事や飲みに行っているときは楽しく過ごせていたので(実際はその帰宅途中から体調が悪くなるのですが)「接客業もやってみたら向いているのかもしれない」と考えました。軽躁状態だったので、かなり飛躍した思考であったと思います。人と話すとなると、なんとなくバーという安易な発想と、単純にお酒も好きだったので、ちょうど求人の出ていたワインバーで働くことになりました。雇用形態はバイトでしたが、再就職に失敗していたので、週5で働かなくてもよいという魅力もありました。「とりあえずバイトから始めてみよう」そんな気持ちだったと思います。

 

その後はご想像の通り、2ヶ月ほどで軽躁が過ぎ、悲惨な終わりを迎えました。ラピッドサイクラーの頃は大きな波が短いスパンで現れたので、自分の中で何かが爆発したように、ある日突然動けなくなってしまいました。まさに「体が壊れる」という有様で、そわそわ、頭痛、不眠、過食、そして体中が痛くなってしまいました。かなり情緒も不安定になっていたと思います。

 

飲食店は、いくらバーと言えども、肉体労働でしたし、辞めにくさも相当なものでした。単純に人手がなくなってしまえばお店がまわらないからです。とは言えあっという間に働ける状態ではなくなってしまったので、事情を説明して辞めることになるのですが、今まで普通に接客していた人間が「実は双極性障害でした」とカミングアウトして急に辞めるのは、不誠実だっと反省しています。仕事が嫌で辞める口実程度にとられてしまっても仕方がないと思います。申し訳ないことをしてしまいました。

 

こうしてまた自信をなくし、そんなことがいくつも溜まって完全なうつ転に至るのですが、やはりラピッドサイクラーの頃やその後の混合状態の頃が一番辛かったなと思います。うつ転してからは思考停止していたので、その分過ごしやすかったような気がします。

 

そんなことで、飲食店で働くのは無理があるなと身をもって体験しました。主に休めないプレッシャーが強いことと、肉体労働が私には不向きであったことが理由です。接客に関しては、ストレスももちろんあったと思いますが、それでも割りと楽しかったです。普通に過ごしていたら出会わないようなタイプの人と話せたり、ラジオや映画などの話題で意気投合することもありました。それに美味しいお酒も飲ませてもらえましたし。

ただ最近は、もうお酒を飲まなくていいかなと思うようになってしまいました。