フラットを探して

双極性障害で療養中の記録

躁と鬱の自分史<子ども編>

こんにちは。

今日は昨日に比べてずいぶん気温が下がりましたね。

寒暖差が大きいと体に堪えます。

今夜から明日にかけて気圧が不安定になるようなので、体調を崩さないように注意したいです。

 

以前、私が双極性障害と診断された頃の話を書きましたが、今回は子どもの頃の話をしたいと思います。

私が診断を受けた病院では、医師に診察される前に予診があり、子どもの頃から現在に至るまでどんな生活をしてきたか尋ねられました。

1時間ほど話を聞いてもらったのですが、ヒアリングがいかに重要であったか双極性障害とわかった今改めて思います。

 

というのも私は中学、高校、大学とそれぞれに体調を崩した時期がありました。

学校で嫌なことがあったわけでもないのに、ある日突然学校に行けなくなりました。

今思えば、中高では学生なりに責任ある立場になってしばらくして体調を崩していたので、知らないうちに軽躁からうつに変わっていたのかもしれません。

 

大学に入ってからはこれまでを反省し、学祭や部活動などで他者と関わるのではなく、自分のこと、すなわち学業に勤しみました。

しかしこれも熱中しすぎてしまい、それなりの成果はありましたが、代償として大学4年の1年間をうつで過ごすことになりました。

就活もろくにせず、なんとか院試験だけは受かりましたが、体調もよくありませんでしたし、なにより時間稼ぎのように大学に残ることに抵抗があり、進学を取りやめました。

 

卒業後も1年以上ふさぎ込んでいるような状態でしたが、ある映画をきっかけにうつを抜けました。

取り立てて名画というわけでも、人生におけるアンサームービーというわけでもありませんでしたが、それをきっかけにスイッチが入ったのでした。

その後は仕事も決まり、最初こそやっていけるか不安でしたが、それなりの生活を送れるようになりました。

 

こうした出来事はすべて自分の人格形成に問題があったためだと思っていたので、医師に子どもの頃から双極性障害が発症していたのだろうと言われたときは救われるような心地でした。

よく人の人格は10歳頃に決まるなんて聞きますが、そのくらいの年齢の頃、海外暮らしで苦労していたので、そのストレスが原因で弱い人間になってしまったのではと考えていたからです。

 

今日はこの辺で。

 

なぜかきっかけの映画となってしまった実相寺昭雄監督の『姑獲鳥の夏

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